いわ氏の世界

蓄積した学びや氣付きの整理とアウトプット

正しく認識するという事

突然ですが、皆様は「正しく認識する行為」についてどのように考えますか?

世の中には、実にいろんな方々がいらっしゃいますよね。

まさに十人十色、一期一会と言えます。

 

もちろん個人の主義主張は重んじられるべきだと思いますが

例えば、ある物事に対して専門家と素人の意見では

含蓄された知識・経験の量や質から、専門家の意見が重宝されるべきとは思いますが

素人ならではの斬新な視点なども、時には必要とされる場面があるかと思います。

 

■視点は無限に存在する球形という概念

わたしは、物事を認識する時に「どの視点から述べられた意見なのか」

という事に気を付けながら、常に自己診断を行い

認識のアップデートを怠らないようにしています。

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上記の画像をご覧ください。ざっくりとした説明で恐縮ですが

光が当たって影になっている部分を見て、「〇」や「□」と認識する人もいれば

物質である円柱であると認識する人もいるかと思います。

この時、皆が認識し、言っていることはそれぞれ正しいのですが

モノを見る視点が異なることから意見の食い違いが生じます。

では何が真実に近いのかというと、「光源」「〇」「□」「円柱」それぞれを見て

「円柱に光が当たって、それぞれ出来た影が〇と□」という認識であるかと思います。

 

何を当たり前のことを…と思われるかと思いますが、世間を見渡してみると

世界にはこういう認知をお持ちでない方が多いのはすぐにわかります。

どういう事かと言いますと、「自身に反する視点・意見を取り入れる事ができるか」

に尽きると思います。

 

 

「自分が正しく他者は間違っている」という驕り、思考アルゴリズム

認識の幅を狭め、固定観念に縛られている事になります。

万物は移ろい変化するものですから

たとえその道のプロフェッショナルであったとしても、

認識をアップデートせず変化できないでいると、新しい技術や斬新な発想に後れを取り

時代に取り残される、より知識や経験で勝る者に騙される…

といった現象が起こるわけであります。

 

わたしは「常に自分は発展途上で何も知らない愚か者である」という事を自覚し

自身の認識を常にアップデートする事を実践するよう気を付けています。

それは、変化が速い現代社会に適応する事でもあり

対立する意見を釣り合わせバランスをとる道でもあります。

 

身体が食物を摂取し、必要な栄養素だけを取り込み

吸収できなかったものを排泄するプロセスと同じです。

なので、「気色悪いものでも、まずは食べてみよう!」という事ですね。

  

もしかしたら珍味であったり、漢方のような効用があるかもしれませんよ。

仮に食あたりになったとしても、それは人生経験として学ぶべきもの

今後は自身から遠ざけるべきものであったという判断が出来るようになります。

 

仮に、他者から「これ美味しいから食べてみなよ!」と言われて

食べてみたところ、食あたりになったとします。

その時も、

・人によって食の好みや、その時々によって必要な栄養価は異なる

・その人には適合したが、自身には適合しなかった

という、起きた事象をできる限り正しく認識する視点があればよいのですが

・この人が薦めてきたものを食べたら腹を壊したので、この人は悪い人だ!

・この食べ物は毒だったので、この世界から根絶すべき

のような、短絡的な思考に陥ると、その後も同じことを繰り返し

偏ったものの見方や、上辺だけをなぞって全てを知ったようになる

人間が出来上がるわけです。

 

りんごのデッサンを例に挙げても

どの位置からりんごを描いているか、どのような着色か、背景はあるか…など

りんごを認識した人それぞれの視点、ものの視方があるわけです。

りんごを1つの視点だけではなく、できるだけ球体に近い全方位から視て

なんならりんごの“後ろの正面”である景色も観察してこそ

りんごを取り巻く空間の正しい認識に繋がります。

 

■まとめ

最後にまとめると

自分は「常に発展途上で何も知らない愚か者である」ことを自覚し

相手は「どの視点から物事を見ているか」

世間は「どの視点から物事を見ているか」

のデータを蓄積・分析し、「常に認識を更新する」という思考アルゴリズム

より真実に近付ける…と言えると思います。